Thursday, March 24, 2011

福島第1原発:日本と外国の認識ギャップ

日本がようやく福島第1原発の深刻な状況を理解しだしたのはここ2,3日のことかと思いますが、それとは反対に、諸外国の関心はこの2、3日で急激に薄れた感があります。

いままで無言だった原子力委員会が、原発第1号機の圧力容器の異常高圧と格納容器破壊の危険性を発表したのが23日。そのころから、日本のメジャーな新聞にも、地震直後から続いていた希望的な記事に混じって、原発の危険な(実は最初からずっとそうだったんですが)状況を報告する記事が出だしました。一番の影響は放射性物質が水、野菜、土壌から高い値で発見されだしたことでしょうが、やっと人々が、これは大変なことかもしれない、と理解しだしたのがこの2、3日と見ました。

だからどうした、というのが、アメリカを含むここ2、3日の諸外国の反応だ、というのが私の感触です。こっちは最初から危ない危ないと言っていたのに無視され続けた、今更遅い、ということ。逆に、アメリカでは、日本の核危機を「誇張」したメディアを批判する人が増えています。別に誇張でもなんでもなくて、こっちのメディアに出ていた記事が実は現状に合っていたにも関わらず、余計な恐怖心をあおる無責任な報道だ、とか批判する人が増えています。いわば日本の反応がなんとかなる、大丈夫だ、から、もしかしてこれは大変なのかもしれない、にシフトしたのとは正反対。

もしかしてこれは大変なことになりかねない、と最初から警鐘を鳴らし続けたのに日本政府からはまったくかけ離れた官僚的な対応しかでてこず、痺れを切らした諸外国はさじを投げた、と。今でも真摯に警告を鳴らしている専門家も数多くいますが、ニュースには殆どなりません。

ということは、今実際に福島第1原発で更に大きな事故が起きても、だからどうした、という反応しか返ってこない可能性大です。最初から全体がつかめないなりに情報をしっかり開示して、すぐに諸外国の専門家の助けを求める、ということを対面を気にしたのか、英語力のなさを気にしたのか私には分かりませんが、それをやらなかったつけは、今後の対応は最初の日本の望みどおり、日本だけでやる羽目になるのでしょう。出来ようが、出来まいが、関係なく。

日本の外から見ていると、地震、津波の直後、また、原発事故直後に世界中から送られた有形、無形の善意を、日本の政府がお役所仕事で一手に破壊した、という気がします。

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